2012年04月30日
米兵さんから聞いた "Operation Tomodachi"
お一人様米軍基地見学
厚木AirBaseのレポート続きです。
沖縄に駐屯する部隊の、Damienさん。
CH-46について、そして、3.11について色々なお話をして下さいました。
沖縄から来たバートルさん。
チヌークのお兄さんですね(萌
CH-46、双発の輸送機です。
自衛隊でも採用されていました(2009年に退役済み)
現在、弟分のCH-47はよく見かけますが、たまに灰色っぽい機体が
飛んでいくので、米軍のバートルかな?なんて見送ったりしています。
(そもそも色弱気味なので、黒っぽい=OD、白っぽい=グレー
ぐらいの認識です)
米軍では、2014年に退役予定のようです。
皆様もニュース等で、3.11の災害時に米軍が活躍している映像を
ご覧になったかと思います。
3.11の震災のときは、沖縄に駐屯されているDamienさんの部隊も
すぐに支援体制に入り、ここ、厚木基地で支援物資
(食料、水、衣類、灯油など)を沢山積み込んで
震災2日目には現地に到着していたそうです。
厚木基地から松島基地、そしてそこから各学校等の施設まで物資を運び
夜には厚木基地へ戻って就寝、翌日朝にまた松島へ、
または、近くに停泊中の空母から岩手の方面へ…
という、少しの時間をも惜しむスケジュールで
物資の輸送をして下さったそうです。
厚木から松島までは、バートルで1.5時間くらいとは仰っていましたが
そんなに毎日送って下さるのはとても大変なことだったと思います。
そして、この支援は1ヶ月も続いたそうです。
写真と地図等で説明して下さいました。
被災地の様子や、支援物資のたくさんの灯油缶
飛行経路や、支援の様子、バートルの手入れをする様子の
写真などなどが展示されていました。
私の友人が住んでいた石巻の光景も、Damienさんが良く知っている
アメリカの地と似ていて、よく覚えているそうです。
Damienさんは、日本の事をとても高く評価して下さっています。
災害時でも、物資を受け取るにはきちんと列に並び、
着る物を渡そうとしても、『自分たちのところにはもう十分あるから
あちらの方面は足りていないようだから、そちらにまわしてくれ』と言って
受け取られなかったそうです。
とても素晴らしい国と人達だと、仰って下さいました。
支援という『任務』でもあったと思いますが、それ以上の『気持ち』を
Damienさんから感じ、胸が熱くなりました。
チヌークにもある、丸っこくて視界の良い窓
この窓からはどんな風景が見えていたのかと思うと
今でも悲しい気持ちになります。
しかし、被災地に一刻も早く物資を届け、助けて下さった、
Damienさんを始め、支援して下さった米軍の皆さんに
とても感謝しています。
ちょっとだけ次に、続きます。
厚木AirBaseのレポート続きです。
沖縄に駐屯する部隊の、Damienさん。
CH-46について、そして、3.11について色々なお話をして下さいました。
沖縄から来たバートルさん。
チヌークのお兄さんですね(萌
CH-46、双発の輸送機です。
自衛隊でも採用されていました(2009年に退役済み)
現在、弟分のCH-47はよく見かけますが、たまに灰色っぽい機体が
飛んでいくので、米軍のバートルかな?なんて見送ったりしています。
(そもそも色弱気味なので、黒っぽい=OD、白っぽい=グレー
ぐらいの認識です)
米軍では、2014年に退役予定のようです。
皆様もニュース等で、3.11の災害時に米軍が活躍している映像を
ご覧になったかと思います。
3.11の震災のときは、沖縄に駐屯されているDamienさんの部隊も
すぐに支援体制に入り、ここ、厚木基地で支援物資
(食料、水、衣類、灯油など)を沢山積み込んで
震災2日目には現地に到着していたそうです。
厚木基地から松島基地、そしてそこから各学校等の施設まで物資を運び
夜には厚木基地へ戻って就寝、翌日朝にまた松島へ、
または、近くに停泊中の空母から岩手の方面へ…
という、少しの時間をも惜しむスケジュールで
物資の輸送をして下さったそうです。
厚木から松島までは、バートルで1.5時間くらいとは仰っていましたが
そんなに毎日送って下さるのはとても大変なことだったと思います。
そして、この支援は1ヶ月も続いたそうです。
写真と地図等で説明して下さいました。
被災地の様子や、支援物資のたくさんの灯油缶
飛行経路や、支援の様子、バートルの手入れをする様子の
写真などなどが展示されていました。
私の友人が住んでいた石巻の光景も、Damienさんが良く知っている
アメリカの地と似ていて、よく覚えているそうです。
Damienさんは、日本の事をとても高く評価して下さっています。
災害時でも、物資を受け取るにはきちんと列に並び、
着る物を渡そうとしても、『自分たちのところにはもう十分あるから
あちらの方面は足りていないようだから、そちらにまわしてくれ』と言って
受け取られなかったそうです。
とても素晴らしい国と人達だと、仰って下さいました。
支援という『任務』でもあったと思いますが、それ以上の『気持ち』を
Damienさんから感じ、胸が熱くなりました。
チヌークにもある、丸っこくて視界の良い窓
この窓からはどんな風景が見えていたのかと思うと
今でも悲しい気持ちになります。
しかし、被災地に一刻も早く物資を届け、助けて下さった、
Damienさんを始め、支援して下さった米軍の皆さんに
とても感謝しています。
ちょっとだけ次に、続きます。
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乙夜さんの、この記事を読むことで、当時の救助に携わった方達の気持ちを知る事が出来ました。
ありがとうございました。
実際に作戦に携わった方の肉声に勝る者は無いと思います。
3.11に開催されたサバイバルゲームでもしっかりと同じ楽しみを持つ方々と黙祷をささげられた乙女さんの心も、私なりに胸が熱くなりましたよ。
今回もただ一人で見学してきたのではなく、大事な事を私も含めて乙女さんの支援者にも、こうした形で伝えて下さる心に感謝です。